2009年09月05日

実践

民主党について書かれた本が
売れているらしいですね。

読んでから、一票入れろ!!!!

といいたい。

逆でしょう。

ニュースで「今回は自民党にお灸をすえてみた」とか
いっている一般人がいましたけど、
お灸すえられるのは政党に関する勉強を怠ったまま
投票した私たち自身なんですよ。

私は覚悟を決めましたよ。
ボケーと見てるだけじゃ、
とんでもないことになりますからね。

「こんなことを言い出したら危ない!」
というチェック項目を作っておきたいなと思ってます。


それにしても。

早くも

船頭多くして船山に登る

な様相を呈してますね。クスクス。


って、笑えないから!



さて。
昨日の続きになりますが、
『散歩の達人』で担当した神楽坂の寺社めぐり。

一番印象深かったのは

「お寺は死んだ人のものでなく、
生きている人のためのものなんですよ」

という言葉。

圓福寺のご住職のお言葉です。

円福寺 (Small).JPG

HPもなく、横寺町の奥まったところにひっそりと
建っているお寺なのですが、
取材をしている間も次々に人が入ってきては
「南無妙法蓮華経」を熱心に唱えているんです。

ご住職いわく

「日々訪れる災いはすべて自分の罪が招いたもの。
自分でなければ、親、先祖の罪かもしれない。
まずは南無妙法蓮華経と繰り返し唱え、
その罪を心から詫びてください」

と。

それを聞いたとき、まずは
「そんなこといってたら、
胸を張って生きられなくなっちゃうよな〜」
と思ったのです。

しかし、あまりに人が訪ねてくるのに興味がわき、
取材の合間に私も読経に参加してみることにしました。

朝5時半、9時、13時半と1日3回、
1回につき、なんと1時間半もひたすらに
「南無妙法蓮華経」を唱える行です。

「途中でご退席なさっても問題ありませんよ」と
ご住職。
見よう見まねで信徒さんたちに加わってみました。

「どれくらいいようかな」と思ったり、
「謝れといわれても、私だけが悪いわけじゃないし〜」
なとど思っている間は「南無妙法蓮華経」が
うまく口から出てこないのです。
顔の前で合わせている手も重ダルくなってきて、
結構キツイな〜と。

でも、いつからでしょうか。
なんとなく無心になり「南無妙法蓮華経」が
スルスルと出てくるようになった頃。
「ああ、私が悪かったかもしれないなあ…」
という心境になってきたのです。


私があのときこうしていれば、
あの人の心をもう少し元気にしてあげられたのに

あの人がこんなことを私にいったのは、
あのとき私がやさしくしてあげられなかったからかも

つらい思いをさせてしまったのは事実だなあ
悪かったなあ


不思議なんですけど、
そう思えた瞬間、心が軽くなったんですよね。


「だって、むこうだって…」と思っているより
「私が悪かった」と思えたほうがラクというのは
意外な発見でした。


「だって」を手放せば手放すほど心は軽くなる。


思い悩んで鬱になって、
精神科行って薬もらうより、
「南無妙法蓮華経」のほうが
よっぽど建設的で健康的だなあと思いましたよ。

これが日蓮上人の時代から800年あまりも
人々がありがたく伝えてきたことか、と。

その実力を思いがけず体感してしまいました。


なにか思い悩んでグルグルしているときなどは
圓福寺さん、いいかもです。

ご祈祷などもしてくれるんですけど、

「私がするより、
ご自分で唱えたほうがずっといいですよ」

とご住職がこれまた商売っ気のない方で。

ご祈祷をお願いすると3000円くらいかな。
自分でする分にはロウソクとお線香代で
100円くらいでしょうか。

我が町が誇る深川不動堂
1日5回の護摩行もすばらしいですけどね。

ただ手を合わせているのと、
自分で唱えるのでは全然違うということがわかりました。


ニュースも、ただ見ているのと
その事実を自分の頭で一度しっかり考える、
自分の血肉にするのとでは
全然違ったものが見えてくるんだろうなあ。




ラベル:愛国 健康
posted by はたまゆ at 00:44| Comment(3) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
南無阿弥陀仏でやってみます。
Posted by satokin at 2009年09月05日 01:29
人というものは寄ってたかって生かされている。そして愛され、必要とされているのです。何も人類だけに限ったことではありません。生命すべからずそうなのです。すべての生命はつながっているのです。生かされている幸せ、生きている幸せ。これを思えばおのずから、感謝が沸いてきます。無関心がなくなります。そうですね、日々持続の心持に努力なんですよね・・・・。
Posted by カシーロ at 2009年09月05日 09:06
satokinさん
そちら派ですか。
あはは〜。
私は宗派とかは気にしないのです。
大事なのは、宗教ではなく、信仰。
尊いものを畏れ敬う心があれば
間違いはないと思うんですよね。

カシーロさん
無関心はいかんです。
無知以上に悪だと思います。
それと、今書いている本のテーマが偶然
「人から必要とされるということ」です。
無理にがんばらなくても、
必要だから生まれてきたのですよね。
それをなぜ、
人はなかなか実感できないのでしょうねえ?




Posted by はたまゆ at 2009年09月05日 18:08
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