2010年08月15日

救済

今日15日は、富岡八幡宮の例大祭最終日。
この3日間、深川はお祭り色に包まれていました。

まつり (Small).JPG

本祭は3年に一度のため、来年までお預けですが、
子供神輿の元気な掛け声が窓の外から聞こえてきたり、
水をかけられ、びしょ濡れの子供たちが
手に手にご褒美のお菓子を持って歩いているのに遭遇したり。

みこし (Small).JPG

がっつり参加できないことを寂しく感じながらも、
お祭り気分を味わいました。


靖国 (Small).JPG

靖国神社にも行ってきましたよ。
今年もすごい人であふれかえっていました。

昇殿参拝したのですが、
小さい子供を連れた若夫婦がいたり、
若い人が年々増えているのがうれしい。

バスを連ねてやってくる各県の遺族団は
やはりご年配の方々で。

そういう方々に、
「ああ、自分たちがいなくなっても思いを
引き継いでくれる若い人がいる」
と少しでも安心していただけるといいなと思いました。
それだけでも行く意義はあるなと。

もうひとつ。
この日は様々な署名活動も展開されているのです。

国立追悼施設建設反対
外国人参政権反対
朝鮮学校無償化反対
台湾独立支援


日頃、「なんとかしなきゃ!!!!」と思いつつも、
ここでブツブツ言うくらいしかできない非力な私にとっては
願ってもない機会です。

勇んで署名してきましたよ。
署名するのもちょっと並ばなきゃいけないくらい、
周りの人が次々署名していて、頼もしく思えました。


そんなんで、国のことばかり考えていて、
家のことはおざなりな私…。

浅草へ、父の墓参りにも行きました。

浅草 (Small).JPG

お約束のスカイツリー。

お寺へは10分ほど隅田川沿いを歩いていくのですが、
あっちにもこっちにも

セミが落ちてる…。


落ちていても、死んでいるとは限らないので、
いちいち安否確認しないと気が済まないのです、私。

自転車に乗っているときなどは、結構大変。
わざわざ戻って自転車から降りて、
生きている子は木陰に救済。

救済 (Small).JPG

本日は、6匹中2匹を救済しました。

ひっくり返って起きれないまま、
熱いアスファルトの上で死んでいくのを
見過ごすことができないんだよなあ。

街中で、ひっくり返っているセミを
いちいちつついている女を見かけても
不審に思わないでくださいねー。


ラベル:愛国 深川 祭り
posted by はたまゆ at 23:11| Comment(8) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
猛暑の中のお疲れ様でした。
秦さんのご署名は
きっと強力な味方になることと存じます。

ジブンはクッキーを買うというタイプではないのですが、
「靖国神社参拝記念ミルククッキー」は
買いました☆
各パッケージには古今和歌集の短歌の一つ
君が代は…が印刷されていて
ご機嫌でございます。
Posted by satokin at 2010年08月16日 11:16
今朝めいめいがセミの抜け殻を不思議そうに持ち上げたので
それゴキブリの抜け殻だよ
と言うと
うわああああああああ
と取り落とすので
セミもゴキブリもどちらも昆虫なのだよ
足が六本羽根が四枚なのだよ
と教えてやると
今度はセミを怖がるようになりました
何故
Posted by メロ at 2010年08月16日 15:37
蝉といえば、、。
昨晩家に帰ると、玄関前に横たわっていました。
土のある所までよけてあげおうと触ると。
「じじじじーー!!」
まだいきとったんかい!ビックリしたー。
余力の粋だろうが、現世を楽しんでほしいですな。

さて、明日の日本酒ないといかれますか?
お会いできるの楽しみにしています。
Posted by riki at 2010年08月17日 12:51
鬼平犯科帳の中に「おせん」という富岡八幡様のお祭りを舞台にした心温まる話がありますね。読んだ中では一番好きなものの一つです。
国立追悼施設はあっていいと思うんですよね。だって靖国神社は神道の宗教施設でしょう?わが国には国教がないんだから、宗教色のない追悼施設は必要だと考えます。
「靖国の桜」になんかなりたくなかった人だってたくさんいるんですから。
Posted by 夜桜 at 2010年08月17日 13:36
神を持たない民族はありません。ただ神と国(教団)、民衆との関わり合いが如何になされるかによって神への畏怖畏敬が尊いものになると思うんです。国(教団)、民衆がいらん力を神に行使することから歴史上のさまざまな不幸が勃発しました。神を持たない民族無い以上民族がある限りこのような不幸は解消されないかも。あとは人間としての尊厳と理性次第ではないでしょうか。
「靖国神社には現在、幕末の嘉永6年(1853)以降、明治維新、戊辰の役(戦争)、西南の役(戦争)、日清戦争、日露戦争、満洲事変、支那事変、大東亜戦争などの国難に際して、殉じたとして身分や勲功、男女の別なく斉しく祭られているとのこと」と読みました。国難とは、自ら戦争を起こす、侵略することなのですか?国難といえば、鎌倉時代の元寇、黒舟来航時期の戦などではないでしょうか?自国が侵略され、戦争を余儀なくされる時に国難というのでは。靖国神社の国難とはその時の現政権のご都合主義ではないでしょうか。
西郷隆盛は祭られていますか?西郷は朝敵?それにしても大きな重石だったのでしょうね。
国のご都合主義で命を失われた方々、尊い命を紙っぺら一枚で命を失われた方々にはご都合主義の場所ではなく、国として真摯な祈りの場を設けることが必要でしょう。

Posted by カシーロ at 2010年08月17日 16:22
satokinさん
私は靖国扇子を買いましたよー。
汗かきの私、ゴキゲンです。

メロちゃん
「何故」じゃないです…。
なぜ、我が子にそんなブラックなことが
できるのか…。
最高にステキです。

rikiさん
それ、いわゆる「セミ爆弾」といわれ、
セミ嫌いな人を増殖させているヤツですね。
日本酒ナイトは参加しますよー。
会場でお会いしましょう。

夜桜さん
「宗教色のない追悼」って
どうなんでしょうねえ?
どうやって追悼するのかなあ?
と思ってしまうのですよ、素朴に。
やはり手を合わせるのでしょうか?
手を合わせるとしたら、
それは日本人が古来、大事にしてきた
信仰であり、方法ですよね。

カシーロさん
たとえば、南禅寺。
亀山上皇の思いひとつで作られましたが、
大事なのはその後の人々の思いではないでしょうか。
そこを「ありがたい場所」と思い、
大切に守り続けてきたという事実を
私たちは尊び、手を合わせ、
次世代へつなぐ義務があると思うのです。
Posted by はたまゆ at 2010年08月18日 00:13
 青年諸君よ、この戦争は馬鹿げた茶番にすぎず、そして戦争は永遠に呪うべきものであるが、かつて諸氏の胸に宿った「愛国殉国の情熱」が決して間違ったものではないことに最大の自信を持って欲しい。

 要求せられた「殉国の情熱」を、自発的な、人間自らの生き方の中に見出(みいだ)すことが不可能であろうか。それを思う私が間違っているのであろうか。


坂口安吾 特攻隊に捧ぐより引用

反戦と肯定。
Posted by 坂口安吾(仮) at 2010年08月19日 01:54
(仮)さん
小野田寛郎さんの言葉を思い出しました。
「僕がもっとも許せないのは小泉総理(当時)の
『靖国には心ならずも戦争に行って
亡くなった人たちが祀られている』
という言い方です」
「心ならずも」という言葉に敏感に反応して、
気分を害している小野田さんに、
「戦争を経験していない者が勝手に慮ったり
同情したりするのは
かえって失礼なことなんだなあ」と思いました。
私たちがすべきは、感謝とその経験を
引き継ぐことだけなんだろうと。
Posted by はたまゆ at 2010年08月19日 17:32
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。