2010年10月04日

先人

朝青龍の断髪式が行われましたね。

私は行きませんでしたが、
朝青龍のコメント

「今度生まれ変わったら、日本人になって
横綱になりたい」

というのが気になりました。

単なるリップサービスかもしれないけど、

自分が日本人横綱だったら引退に追い込まれてなかった

とでもいいたいのかな?
なんて、うがった見方もできてしまう。

なんだか120モヤモヤです。

真相はどうあれ、
私は育ててくれた人、世界に対して
敬意を払わない人種は好きになれないなあ。

「赤西仁、全米デビュー」って、どうなの?
水嶋ヒロにも同じニオイを感じます。

親子の愛憎と一緒で、
周りからはうかがい知れない事情があるとは思いますが。


そんな昨日、私は愛国仲間のツバキアンナちゃんとともに、
かねてからお伝えしていた
藍川由美さんの「催馬楽を歌う」コンサートに行きました。

藍川さん.jpg

催馬楽、さいばらと読みます。

古代から祭祀や宮中において、演奏されてきた催馬楽ですが、
一番の隆盛を見せたのが、紫式部が生きていた時代。
そのため、『源氏物語』でも催馬楽が随所に登場するのです。

藍川さんの解説と朗読により、
『源氏物語』の1シーンを思い浮かべながら、
または『紫式部日記』から
宮中に生きる人々の息遣いを感じながら、
催馬楽の世界に入っていくことができました。

演奏される曲が6曲ということで、
「1時間くらいで終わっちゃうのかな? 
あとはトークでつなぐのかしら?」などと
失礼なことを考えていたのですが、とんでもない。

演奏時間に20分を要する楽曲もあり、
あっという間に9時近く。

20分といわれても、長さを感じないのです。
それが平安に生きた人たちが感じていた時間の流れなのかな。

それにくらべ、
現代人の時間のなんとせせこましいことよ…
と思いました。


藍川さんの言葉を借りれば、

民族の美感に立脚した音楽

である催馬楽。

本当はここでもっともっとお伝えしなければならないことが
あるはずなのですが、
私の音楽的素養と知識ではまだまだ受け止めきれず。

もっと勉強しなくちゃ!という気になりました。

でも、皆様にもぜひ一度、体感してほしい。

音の作り方、重ね方など(?)、

「1000年以上も前から、
日本人はこんなに素晴らしい美感をもっていたのだ!」


と驚くとともに、誇らしい気持ちになれるはずです。


ラベル:相撲 愛国
posted by はたまゆ at 12:48| Comment(4) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
沖縄在住の知人が断髪式に急遽参加しました。
突然決めて本当に0泊2日で来たからびっくりしました。
Posted by まっちゃんLOVE at 2010年10月04日 20:29
恥ずかしながらジブンは
民族の美感に立脚した音楽を
今の今までま〜ったく存じ上げませんでした。

ジブンが学んだ音楽教育は
小学校では何といっても明治以来の小学唱歌で、
まあ、それは西洋近代音楽の
ドレミファソラシドがベースでございました。

中学にあがると
音楽学校出の音楽の先生が登場して
西洋クラシック音楽原理主義?に基づいて
クラシックを中心に
あとは世界の民謡とかを聴かされまして、
こうやて音楽の教養を身につけるのだなと
普通に思っておりました。

と同時に歌謡曲ばかり聴いているのは
低俗でダメ人間になるというような風潮が
その当時普通にあったと思います。

歌を歌う時の法則は、
口を大きく開けて
朗々と
歌詞ははっきりと歌う・・・

というのが是でありまして
マイクに接近して
つぶやく、ささやくなんて邪道でございました。

こうした歌謡曲批判は、今思うと
了見の狭い西洋かぶれだったんでしょうね。
ちょっと笑っちゃいますです(笑)

その後、歌謡曲が偏見から市民権を獲得して
音楽の素養も高まり
邦楽のジャンルも多岐にひろがり
和製ポップスもどんどん日本人に浸透して
同時に洋楽も普通に聴かれるようになり
現代に至っている・・・
今では学校の教科書に流行歌が取り入れられちゃっていますからね♪
時代は変わりました。

次の時代の入り口では
ハタさんのお勧めする
日本古来からの
日本人の心に無意識に気持ちよく存在する
音を楽しめたりするのかな・・・
と思ったしだいでございます。

Posted by satokin at 2010年10月05日 23:46
伝統は民族の立脚していると思います。音楽の美感もそのうちの1つです。民族というアイディンティティの内いる限り、偏狭な民族主義は別として、伝統というのはそれぞれのここのうちにあると思います。それは音楽に限らず、文学、絵画、映像、茶道、華道、相撲、歌舞伎などなどに連綿と流れていると思います。ただその表現方法は長い時間の中でいろいろな形・・美感をとっています。そんないろいろな形・・美感を学び、知るという作業をないがしろにしていることこそが問題と思います。文化の流れは速く、狭くなってくる中で学び、知ればいかなる表現を使っても立脚点は民族に帰します。民族の美感に立脚し、他の民族の美感も理解するからこそ融合が生まれ、そこから新しい何かが創り出されるのでは。そして自らの民族としての美感を再認識するのでは。そう思うと中国の王朝の興亡はドッキトします。
Posted by カシーロ at 2010年10月06日 01:19
まっちゃんLOVEさん
あら、そんな熱心な方が。
私も去年の今頃は
「朝青龍の断髪式には絶対行って、
きっと泣いちゃうだろうなあ」くらいに
思っていましたから。
時の流れって…。

satokinさん
藍川さんによると、
「口を大きく開けて、朗々と…」という
歌唱指導法は、
子供の声帯に負担をかけるものでもあるらしいです。
人によって声帯も違えば、音域も違う、と。
また、安易にドリカムとか教科書に
載せちゃう今の風潮も
私はどうかと思うんですよねえ。
学校で習うべき音楽か?と。

カシーロさん
自分を知り、その自分を愛さなければ、
他人を理解し、愛することもできない。
そう思います。
すべての基本がそこにあるんじゃないでしょうか。


Posted by はたまゆ at 2010年10月10日 19:43
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