2011年08月12日

浦賀さんぽ

暑い中、高校野球も盛り上がっていますね。

思えば春のセンバツは節電を考え、
電池のラジオで聞いていたなあ…と。

扇風機をかけ、テレビで見ている今。
時の経過を感じます。

まさに今、テレビでは
横浜と健大高崎が延長戦突入の熱戦を繰り広げています。

健大高崎、いいチームで応援しているのですが、
いかんせん校歌が悪い…。

歌い出し、「BE TOGETHER BE TOGEHTER」ですよ。

え、鈴木亜美? T.M.network!? 

サビのところ「WOW」入っちゃいますからね。

作詩者のセンスというか、道徳心を疑います。
どう考えたって、卒業式で歌いにくいだろう!

応援したいけど、この校歌が聞きたいような、
聞くのがコワイような…。


さて本題。

先月、防衛大学校見学ツアーに行った私。
京急・馬堀海岸で降りるとき、ハッとなったのです。

次の駅、なんと浦賀ではないですか!

京急なんて、これまでの人生で「乗ったことがない」に
等しいもので知らなかったのですが。

浦賀といったらペリー

「開国しなさい」という関根勤のものまねが
頭をグルグルまわりました。

これは、近日中に浦賀に行かねば!!

たぶん黒船関連のところを見たら終わりだろうから、
午前中、浦賀をまわり、
午後は戦艦三笠のある横須賀をまわろう!!

…と心に決めたのです。


そして、7月末のある日のこと。

浦賀駅.JPG

降り立ちましたよ、浦賀駅!

京急って、東海道沿いに走っているのでしょうね。
車窓に大きなお寺がしばしば飛び込んできて、
電車の中からテンションが上がりました。
旅気分。

江戸時代の鎖国は、二代将軍・秀忠時代に始まったもので、
家康はイスパニアとの貿易を推進していました。
慶長11年(1606)、13年(1608)には、
ここ浦賀にイスパニア船が入港しています。

そのまま、鎖国をしなかったら
日本はどうなっていたのでしょうね?
早々に西洋列強のえじきとなっていたでしょうか?

時代は下って、ペリー来航。

海軍の必要性を感じた幕府によって、
軍艦の建造が浦賀奉行所与力の中島三郎助に命じられました。

そんなムチャな!って話じゃないですか?

でもね、この三郎助、偉い人なのです。
飲酒禁止、くわえキセル禁止、始業就業時間をもうけるなど、
労働条件まできちんと整え、
千石船でも作るには半年ほどかかるといわれていた時代、
3カ月で軍艦・鳳凰丸を完成させたのです。


…と、ここまでは浦賀を散策するにあたり、
予備知識としてもっていた情報。

実際に歩いてみなければ、
その土地のおもしろさなんてわからないものですよ、皆さん。

そんな運命の出会いを知る由もない私は
勝海舟ゆかりの老舗うなぎ屋梅本で舌鼓。

梅本.jpg

うな重、香の物・肝吸いつきで、1800円。
ややあっさりのタレで上品な味わい。

店の女将も気取らない人で、
いろいろと周辺の情報を教えてくれました。

今、店のある地帯はかつて遊郭へ続くにぎやかな通りで
あったこと、
西叶神社、東叶神社両方にお参りするといいことがあること。

また、現在店主は創業より数えて5代目。
3代目は日露戦争に出兵し、帰国後、病没。
「戦病死」扱いとなり、
今も政府より慰霊会の案内が届くそうです。

「日露戦争って、そんなに遠くの話じゃないんですねえ」
なんて女将と話しつつ、
「ああ、横須賀に行って、三笠に乗らねば!
東郷平八郎閣下にご挨拶しなければ!!」と思ったのでした。

つづく


ラベル:歴史 美術 神社
posted by はたまゆ at 15:24| Comment(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
浦賀には、苦い思い出がありますが、
秦さんのブログを読んで
気持ち新たに逝ってみたいと思いました。

日露戦役の方の慰霊会の案内が未だに
あるということに少々驚きました。
Posted by satokin at 2011年08月15日 13:35
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