2016年05月08日

輪廻

生まれ変わったら、9時5時の仕事に就きたいなあ。


独り言です、すみません。

GWも終わりますねえ。
ずっと家で仕事をしていましたが、
時折、部屋の中に入ってくる風が心地よかったです。
いい季節だなあ。

座敷牢に突入する前、
出張にかこつけて、赤穂市に行きました。

赤穂といえば、赤穂浪士ですが、
私はご近所のよしみで、吉良派なもので、
ほとんど興味がなく…。

でも、大石神社には行ってみましたよ。

IMG_5235_R.JPG

創建は大正時代。
参道には、四十七士の石像が並んでいました。

IMG_5232_R.JPG

ポーズや表情が「兵馬俑くさいなあ」と思っていたら、
案の定、中国に発注したものだとか。

なぜ???(怒)

あ、でもこの神門にはちょっとグっときました。

IMG_5234_R.JPG

兵庫の湊川神社から譲り受けたものだそうです。

湊川神社の御祭神は、楠木正成公。
はい、「日本二大忠臣」という、つながりです。

湊川神社は明治5年に、明治天皇の思し召しにより
建てられたものだそうで、
そこにグッときたのですよ。

天皇親政という新しい時代を演出するための
政策だとしても、
正成はうれしかっただろうなあ。



で、なぜ吉良派の私がわざわざ赤穂に行ったかというと、
隣の坂越に用があったのです。

IMG_5262_R.JPG

こんなとこです、あははははー。

当然、ホテルなどもなく、赤穂泊となった、と。

目的は、こちら。

IMG_5248_R.JPG

大避神社です。
御祭神は、秦河勝。

京都・太秦の広隆寺を創建した人、といえば
なんとなく知っている方もいらっしゃるのでは?

聖徳太子とともに、時代と仏教文化を担った人物です。

太子の没後、この地に逃れ、この地で没したということを
最近知りました。

京都・太秦にもあるのですよ、大避神社。
大酒という字を用いられることも多く、
私は「ああ、私は秦だなあ」と思うのです。

さておき。

神社の背後にある宝珠山から見た景色。

IMG_5257_R.JPG

江戸時代、赤穂の塩が運ばれていった坂越湾。

真ん中に浮かぶのは、生島。
ここには、秦河勝の墳墓と伝わる古墳があり、
今なお禁足地となっています。

毎年10月には、神様を大避神社からを島へとお連れする
船祭りがあるそうで。

ああ、行きたいなあ。


河勝がこの地に逃れた後も、
京都にはまだ秦氏が残っていました。

彼らが歴史の表舞台から姿を消すのは、
自分たちの土地を差し出し、平安京をつくった後のこと。

彼らの多くが、ここ赤穂を通り、
お隣の岡山に流れたのだとか。

これはやはり、岡山にも行かなければならないのでしょうねえ。



その秦と私の血がつながっているとは思いませんが、
大石神社を目の前にしたときとは
明らかに違う何かが、
大避神社の前に立ったときに
私の中でふるふると動くのを感じました。

いつかどこかで、こうして立ったこともあったのかなと
想像を巡らせるだけで楽しい。

秦を紐解く旅を続けてみようと思います。


ラベル:歴史 神社 
posted by はたまゆ at 21:50| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。